2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、ただひとり残された姫が、男の名で家督を継ぎ、戦乱の世を生き抜いた井伊直虎の物語。
直虎は、亡き許嫁の子・虎松を立派な世継ぎに育てあげると誓い、今川氏真に命を狙われていた虎松を14歳まで南渓和尚のもとで保護することにしました。それが、新城市にある古刹・鳳来寺です。直虎と南渓和尚の機転によって、なんとか生き延びることができた虎松は、徳川家康公に仕え、井伊直政として徳川四天王のひとりと称えられるまでになりました。

井伊家と井伊直虎について

井伊直虎(次郎法師)
直虎は遠州井伊谷(浜松市北区)の領主井伊直盛のひとり娘として生まれました。直盛のいとこ亀之丞を婿として迎える予定でしたが、謀反の疑いにより亀之丞は信州に身を隠すこととなりました。その消息を知らない直虎は龍潭寺で出家し、次郎法師と名乗りました。後に亀之丞は井伊谷に帰郷しますが、出家した直虎との婚姻は叶いませんでした。亀之丞は直盛の養子として直親と名乗り、家臣の娘を妻に迎えました。桶狭間の戦いで父直盛が戦死し、家督を継いだ直親も今川氏の家臣により討ち取られると、次郎法師から直虎と名を改め井伊谷城の城主となり、優れた政治手腕を発揮しました。しかし、井伊領の実権が小野但馬守に移ると、直虎は直親の子、虎松(後の直政)と共に命を狙われる立場となってしまいました。
左より井伊直親、直虎、直虎の母の墓です。
虎松と鳳来寺
命を狙われた直虎と虎松は、城を出て龍潭寺に身を寄せました。しかし、龍潭寺にも危険が及んでいることを察した直虎は、南渓和尚の進言もあり虎松を鳳来寺に預けることを決意しました。鳳来寺は、古くから「殺生禁断の地」として知られており、平安末期には源頼朝が3年間匿われた場所でもあります。こうして8歳から14歳まで鳳来寺で過ごした虎松は、寺の僧侶達によって武将として必要な教養を学びました。
直政の活躍
15歳になった虎松は、徳川家康に仕官し万千代と名を改めました。武田討伐の戦いで頭角を現し、直政と名を改め、徳川家では異例の出世を遂げます。勇猛で知られた武田武士団を「井伊の赤備え」として従え、徳川四天王のひとりとして活躍しました。関ヶ原の戦いでの功績を認められた直政は、家康から佐和山城18万石を拝領し、彦根藩の基礎を築きました。井伊家は江戸幕府譜代として栄え、幕末には大老井伊直弼を輩出します。
鳳来寺本堂
井伊家と井伊谷三人衆のつながり

井伊谷三人衆と戦い

井伊谷三人衆は、いずれも新城、奥三河地域の城主で井伊家の家臣です。徳川家康の遠州侵攻の際、徳川方の家臣となり、宇利から陣座峠を下り遠州までの道案内を引き受けました。このことを契機として、井伊家は今川氏から徳川氏の家臣となりました。天正3年(1575年)に井伊直政が徳川家康に仕えることとなると、井伊家の重臣として直政に仕え、様々な功績を残しました。

三方原の戦い
元亀3年(1572年)に遠江国敷知郡の三方原(浜松市北区三方原近辺)で繰り広げられた合戦。
武田信玄軍(2万5千人)と徳川家康、織田信長らの連合軍(1万1千人)が激突し、徳川軍は武田軍に大敗を喫した戦いとして知られています。また、この前哨戦となった仏坂の戦いには井伊家も出陣し、井伊谷三人衆も活躍しました。仏坂の戦いでの戦死者を弔うため、古戦場近くには、ふろんぼ様が祀られています。
長篠・設楽原の戦い
天正3年(1575年)、三河国長篠城(新城市長篠)をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康の連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦です。
3千丁ともいわれる火縄銃と馬防柵を駆使した織田・徳川連合軍が、戦国最強と恐れられた騎馬軍団を率いる武田軍を破った歴史的にも有名な戦いです。また、陥落寸前の長篠城を命がけで、岡崎まで援軍要請に赴き、壮絶な最期を遂げた鳥居強右衛門の活躍も、この戦いの逸話として有名です。

井伊家ゆかりの地 【奥三河(新城市)・奥浜名湖】

奥三河エリアの歴史スポット

井伊直虎ゆかりの地以外にも実は、歴史スポットの宝庫「奥三河」。歴史マニアにはたまらないスポットがたくさんありますよ!

新城市

設楽町

東栄町

豊根村

尹良親王像・川宇連神社・ハナノキ自生地
(像について)尹良親王は、後醍醐天皇の皇子宗良親王の第二子に当ります。御生母は香坂高宗の娘とされますが皇統譜にその名著われず、伝説の親王と言われています。父、宗良親王は、延元(1337)の頃より南朝の征東将軍として、三遠信をはじめ各地の北朝軍と戦うも戦況利有らず、正平年間(1346~1369)信濃國伊那郡大鹿村、香坂高宗の館に身を潜め、暫く時期を伺いました。尹良親王は、この間父親王と行動を共にしながらも数次に亘り、上野國新田荘に赴き南朝勢力の拡大を図り、上野宮とも申し上げました。また、天授元年(1375)寺尾城主世良田政義の女を容れ一子良王を儲けました。その頃、此処川宇連の地は、足助荘奥郷と称し南朝の味方でした。尹良親王は、この里に駒を進め数日逗留し馬酔木峠を越えて行った。鼓が滝で汗を流し、蘇枋の箸が根付いて「はなの木」になった等、古くから言い伝えられています。

直虎ゆかりの地を巡るバスツアー「奥三河再発見」ガイドと行く奥三河×遠州の井伊直虎ゆかりの地探訪

2017年注目間違いなし!井伊直虎の奥三河と遠州ゆかりの地を巡ります。ガイド同行ですので予習にはうってつけ!OPENしたての大河ドラマ館も訪れます。

<コース内容>
豊橋(8:30)-豊川駅東口-本野ヶ原-鳳来寺山(奥三河と井伊家との関わりについて)-かさすぎ(昼食)-おんな城主直虎 大河ドラマ館(1月15日OPENの施設をいち早く見学)-龍潭寺(井伊家ゆかりの地)-本野ヶ原-豊川駅東口-豊橋(18:00予定)

<出発日>
2017年1月28日(土)

<旅行代金>
6,980円

井伊家ゆかりの地を巡るモデルコース

奥三河の井伊家ゆかりの地をめぐる旅
2017年度国民的歴史ドラマのゆかりの地を巡る旅にでてみませんか?
ドラマの主人公『井伊直虎』の養子にして徳川四天王の一人『井伊直政』が少年時代に匿われていた鳳来寺山や、三遠地域の豪族で井伊家を支えた『井伊谷三人衆』の一つ鈴木家の居城であった柿本城跡など奥三河にも井伊家ゆかりの地がありますよ♪歴史の世界にレッツGO!!

  • グルメも体験もできる道の駅
    道の駅 つくで手作り村
    施設のコンセプトは「農業・自然・手作り」。地元で採れる農林産物とそれらの加工品の販売をしています。季節の旬の素材を使った食材を提供しているほか、木工や手芸、郷土料理作りやトマトのもぎ取り体験が出来る施設です。

  • 浜松から恵那へ続く国道257号線沿いにある、鳳来の「道の駅」
    道の駅 鳳来三河三石
    鳳来の特産品や土産品と、産直野菜等を販売。軽い食事には名物の梅を使用した、「梅とじうどん、そば」(750円)が人気です。当駅の北側には庭園で有名な満光寺があります。

  • 奥三河観光ハブステーション
    道の駅 もっくる新城
    歴史的にも伊那街道「山の湊」として栄えた交通の要衝は、まさに奥三河のハブステーション。訪れる多くの観光客が自由に休憩し、食事と産物を、さらに奥三河の歴史・文化を楽しめる場所です。

  • 地域資源を生かした道の駅
    道の駅 アグリステーションなぐら
    奥三河の壮大な山々に囲まれ、農山村の地域資源を生かした素朴な雰囲気の「道の駅」です。農産物直売コーナーや地元の特産品コーナーがあり、 周辺には体験農園もあります。
    飲食コーナーでは、お母さんのこだわりの味が堪能できます。

  • 日本トップクラスのアウトドア施設
    道の駅 つぐ高原グリーンパーク
    アウトドアの楽園として人気のスポット。標高900メートルにある日本でもトップクラスのトータルアウトドア施設で、一日中楽しめます。本格派から気軽な家族連れまで、幅広く楽しめる総合レジャーエリアです。

  • 県内第1号の道の駅
    道の駅 豊根グリーンポート宮嶋
    2015年春リニューアルオープン!!
    茶臼山高原の麓にある「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」です。
    新鮮野菜や特産物、地元の方の手作り雑貨なども販売してます。

寅童子
鳳来寺山で古くから作られてきた民芸品。
徳川家康公の母が鳳来寺を参拝し授かったのが家康公で、「寅の年、寅の日、寅の刻」に生まれたことから寅童子と呼ばれています。また、何度戦に敗れても立ち上がった家康公にちなみ、この“寅童子起き上がり小法師”が産まれました。期間限定で、井伊家ゆかりの赤色版“虎童子”も販売されています。

鳳来寺硯
鳳来寺参詣の土産品として作られている「愛知の伝統工芸品」です。地元産の原石をノミで手彫りして作られています。鳳来寺山表参道の2店舗で制作、販売しています。

五平餅
うるち米をつぶして焼いたお餅には赤味噌を塗って食します。店舗によっては、風味、形までもが異なります。

奥三河の自然の恵みで育った
奥三河の新鮮野菜・山菜
設楽町のルネッサンストマトをはじめ、地元の農家さんが丹精込めて作った野菜に、山で採れた自然の恵みいっぱいの山菜など、四季折々の味がいつでも楽しめます!

奥三河の地酒
幻のお酒「空」でお馴染みの関谷醸造や300年以上の歴史がある昔ながらの技法を用いた森山酒造など
日本酒通をうならせる地酒も奥三河の特産品。